サタンと神の息子たち
旧約聖書39書の中でサタンが最も多く出て来るのはヨブ記です
ヨブ記以外でサタンの名が現れるのは歴代誌(1回)詩編(1回)ゼカリア書(2回)だけです
サタンのヘブライ語の意味は敵であり悪ではありません
ヨブ記におけるサタン=敵=は神に反対意見を言う者という位の軽い意味の敵です
旧約聖書において悪は[男の]人でありサタンではありません
ヨブ記の中でサタンは神の息子たちの一人として出て来ます
しかもサタンは神の息子たちの真ん中に居ます
サタンは神の息子の中でも重要な位置を占めています
サタンは地上を行き来しながら神に地上の悪を告げる役目を担っています
サタンは全能の神の支配下にあります
サタンは神の指示の下に地上に災いを齎します
サタンは神の許可の下に完全に正しい人ヨブに災いを下しました
旧約聖書ヘブライ語原典逐語訳からヨブ記1章1-21節を纏めてみました(☞をクリックすると逐語訳が開きます)
☞1;1-5 完全で正しい人ヨブには多くの子供と家畜と僕がいました
☞1;6 さてその日になり御神の息子たちが主の側に立つ為にやって来ました そして彼等の真ん中にサタンもまたやって来ました
☞1;7 そして主はサタンに言いました あなたはどこから来たのか?すると彼は主に答えて言いました 地の中を行きつ戻りつその中を歩きながら来ました
☞1;8 そして主はサタンに言いました あなたは私の僕ヨブの上にあなたの心を留めたか?何故なら彼のような完全で直く正しく神を恐れ悪から離れている人は地にいないから
☞1;9 するとサタンは主に答えて言いました ヨブは理由なしに神を恐れるでしょうか?
☞1;10 あなたは彼の回りと彼の家の回りと彼に属するもの全ての回りに垣根を巡らしているではありませんか?あなたは彼の両手の業の回りを完全に祝福しています それで彼の家畜は地に増えています
☞1;11 しかし さあ あなたの手を伸ばして彼に属するもの全てに触れてみて下さい 彼はあなたの顔に向かって必ず呪うに違いありません
☞1;12 そして主はサタンに言いました 見なさい彼に属するもの全てをあなたの手に任せます ただ彼にあなたの手を伸ばしてはいけません そしてサタンは主の前から出て行きました
☞1;13-20 ヨブの家畜と僕と子供は次々殺されました
☞1;21 そして彼(ヨブ)は言いました 私は母の胎から裸で私は出て来て裸でそこへ戻って行きます 主は与えそして主は取ります 主の名は完全に讃えられますように
神はサタンの意見に従ってヨブに属するもの全てをサタンの手に委ねサタンはその全てを打ち滅ぼしました
ヨブはこう言って神を讃えます 神が与えたものは神が取ります
旧約聖書ヘブライ語原典逐語訳からヨブ記2章1-7節を纏めてみました(☞をクリックすると逐語訳が開きます)
☞2;1 さてその日になり御神の息子たちが主の側に立つ為にやって来ました そして彼等の真ん中にサタンもまた主の側に立つ為にやって来ました
☞2;2 そして主はサタンに言いました あなたはどこから来たのか?するとサタンは主に答えて言いました 地の中を行きつ戻りつその中を歩きながら来ました
☞2;3 そして主はサタンに言いました あなたは私の僕ヨブにあなたの心を留めたか?何故なら彼のような完全で直く正しく神を恐れ悪から離れ今だに完全な状態を堅く保つ人は地にいないから しかしあなたは彼について私を唆し理由なしに彼を完全に滅ぼそうとしました
☞2;4 するとサタンは主に答えて言いました 皮に対しては皮です 人は彼の命に対して彼に属するもの全てを与えます
☞2;5 しかしどうかあなたの手を伸ばして彼の骨と彼の肉に触れてみて下さい 彼があなたの顔に向かってあなたを呪わないかどうか
☞2;6 そこで主はサタンに言いました 見なさい彼はあなたの手に任せます 但し彼の命は守りなさい
☞2;7 そしてサタンは主の前から出て行きヨブを悪い腫れ物によって彼の足の裏から頭のてっぺんまで強く打ちました
所有物全てを奪われてもヨブが神を非難しなかったことでサタンは更にヨブの身に害を加えるように神に勧めます
神はサタンの言葉を受けてヨブに手を下すことをサタンに許しましたが命を取ることは許しませんでした
命を与えるのは神です
与えた命を取る(=死を与える=)のも神です
災いと死を与える権限をサタンは持っていません サタンは実行するだけです
神は全ての権限を持っています だから神は全能なのです
神は生き物全てに平等に死を与えます
神が平等に死を与えることによって生き物全ては神の下に平等です
<神の息子たち>
旧約聖書で神の息子たち(複数)という言葉が現れるのはヨブ記以外に創世記6章だけです
旧約聖書ヘブライ語原典逐語訳から創世記記6章1-5節を纏めてみました(☞をクリックすると逐語訳が開きます)
☞6;1 この地の面の上に人間が多くなり始めた時 彼等に娘たちが沢山生まれました
☞6;2 神の息子たちは人間の娘たちが美しいのを見て彼等が選んだ全ての女を彼等の妻に娶りました
☞6;3 そこで主は言いました 私の霊は[男の]人の中で 彼は肉である者の中で とこしえに裁くべきではありません そして彼の生涯は百二十年になりました
☞6;4 その時代にもその後にも地にネフィリムが居ました 神の息子たちが人の娘たちの所にやって来て彼等の為に彼女たちが産んだ者です 彼等は優れた者たちで大昔から有名な男たちです
☞6;5 そこで主は見ました 地に[男の]人の悪が多くなり毎日彼が心に抱く思いは全て悪いことだけであることを
神の息子たちが人の娘たちを娶り子を生ませたことで神の霊が人の中に永く留まることを神は嫌いました
人の寿命は百二十年と神は定めました
創世記が記された大昔から今に至るまで変わらぬ人の寿命を定めた神は驚くべき神です
但し神が定めた人の寿命は男の人の寿命です 女の人の寿命ではありません
何故なら旧約聖書の人=アダム=とは男の人であるから
何故なら神は寿命でも女が男を上回るように創ったから
神の息子たちが人の娘たちに生ませたネフィリムは巨人という意味です
神の息子たちは人の女を通して優れた子孫ネフィリムを創りました
神は女を通して人に優れた力を与えます
一方[男の]人は悪に染まります
神は[男の]人を創ったことを後悔し彼等と共に全てのものを洪水によって地から拭い去ろうと決心します
ここからノアの物語が始まり大洪水の後で主は後悔してこう言います
旧約聖書ヘブライ語原典逐語訳から創世記記8章21節を纏めてみました(☞をクリックすると逐語訳が開きます)
☞8;21 主は宥めの香りの匂いを受け彼の心に言いました 私は[男の]人ゆえにこの地を再び呪うことはありません 何故なら[男の]人の心に思うことは彼の幼い時から悪いから 私が行ったように生きているもの全てを打ち滅ぼすことを私は再びしません
主が後悔したのは[男の]人の悪ゆえに地を呪い他の生き物全てを巻き添えにして滅ぼしたことです
主は悪なる[男の]人を滅ぼしたことを後悔していません 再び悪なる[男の]人を滅ぼさないとも約束していません
何故なら主はこう言っているから [男の]人の心に思うことは彼の幼い時から悪い
<神の息子>
旧約聖書で神の息子(単数)という言葉が現れるのは(アラム語)ダニエル記3章25節だけです(☞をクリックすると逐語訳が開きます)
☞3;25 答えて言った者(王)は 見なさい私は四人の男たちが火の真ん中を解放されて歩いているのが見えます 彼等に損傷はありません 四人目の者の姿は神の息子に似ています
LXXセプトゥアギンタ(ギリシャ語七十人訳)
神の息子(たち)という言葉をLXXセプトゥアギンタ(ギリシャ語七十人訳)で見ると
ヨブ記とダニエル記では神の天使(たち)と訳(異訳?違訳?意訳?)されています
創世記では神の息子たちのままです
ヨブ記ではサタンがデビル(悪魔)になっています
悪魔が神の息子たちの一人であってはギリシャ人読者に誤解を与えると訳者は思ったのか?神の息子たちは神の天使たちに変わりました
訳者は時と場合と訳す相手によって訳を変えます
日本語訳聖書でも同じです
神の息子が神の子になっています
Office Murakami